趣味のくずかご

"どうぶつの森~ポケットキャンプ~" は、どうぶつの森ではない

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何かがおかしい。

 

ゲームキューブ版からずっとプレイしてきた。どうぶつの森を遊ぶためだけにハードを買うこともあった。3DS版のとび森は最高傑作だった。

満を持してリリースされたスマホ版。キャラメルがいる。ブーケがいる。キャンプ場には自分好みの家具を置ける。虫取りができて、釣りもできる。

どこからどう見ても"どうぶつの森"だ。

 

でも、何かがおかしい。

 

違和感その1:忘れられたスローライフ

どうぶつの森シリーズのキャッチコピーといえばスローライフだ。家のローンを返すという目的はあるが、急かされることは無いし利息もないので無視しても構わない。どうぶつ達(以下、住民)とのコミュニケーションを楽しんだり、虫取りサカナ釣りに熱中したり、インテリアにこだわったり……そこに "強制される行動" は何もない。

特筆すべきなのは、ゲームに飽きることすら自由という点だ。ふとまた思い立って起動した時、新しく引っ越してきた住民や、現実と同様に進んでいた村の季節……そして好き放題生えた雑草が、改めて新鮮な驚きを提供してくれる。

「好きなペースで遊んでくれればいい」そんな懐の深さがどうぶつの森にはあった。

 

では、ポケットキャンプ(以下、ポケ森)はどうか。

ポケ森には、住民達の願い事を叶えて自身のレベルを上げ、より多くの住民をキャンプに招待するという明確な目的がある。これは従来のシリーズは無かった "強制される行動" だ。

なぜ強制と言えるのか……それは "レベルを上げないとゲームが進まないから" だ。クラフトできる家具は増えないし、新しい住民がやってくることもない。

お店で購入できる家具の種類が限られているのは百歩譲るとしても、虫とサカナの図鑑が存在しないというのは "レベルを上げなくても楽しめる手段を徹底的に排除している" ということに他ならない。

 

悲しいことにこれはポケ森の根幹部分だ。今後ゲーム性が改善されることがあっても、レベル上げから逃れることはできない。見渡す限りの成果主義スローライフは死んだ。

 

違和感その2:画一的なゲーム内容

どうぶつの森で12月といえば、地面や木々が雪化粧を始める季節である。虫の姿はほとんど見かけなくなり、川にはタナゴやワカサギが現れるようになる……はずだ。ところがどうだろう。そんな気配は微塵も見られない。

ポケ森には、どうぶつの森の一番の特長であるはずの"季節や時間の概念"が存在しない。 

春にはアゲハチョウやモンシロチョウが飛び交い、夏は朝晩に甲虫、昼にセミが大量に取れる。秋は、9月にしか釣れないサケを始め、アキアカネやスズムシなど季節限定色が濃い季節。そして冬が来て、また春が来る。

全ての季節・全ての時間で違った景色を見ることができ、その一瞬一瞬が貴重でかけがえのないものになる……これがどうぶつの森の真髄ではなかったのか。

(ポケ森では冬に入るタイミングが遅い可能性もあるが、虫に関しては南の島にしか出現しないため季節が変わらず、秋や冬の虫は登場の余地がない

 

どうしてこんな仕様になったのか考えてみた。

ポケ森において "虫とサカナは住民達の願い事の材料に過ぎない" のだ。売ってもまともな値段にならず、インテリアにもならない。解説も図鑑もない。願い事の材料として消費されるだけの存在なのだ。

果たしてそれでいいのだろうか?

 

画一的という点では住民も同様だ。

どうぶつの森シリーズに登場する住民は全部で300人以上いる。村に住めるのは最大10人、引っ越しも頻繁には起こらないので、出会わない住民の方が圧倒的に多かった。別のプレイヤーの村へ行けば、迎えてくれるのは全く違う顔ぶれの住民たち。だからこそ、自分の村に住んでくれた住民は特別であり、親しみを覚えるのだ。

ポケ森では、登場する全ての住民と出会うことができ、顔ぶれは全プレイヤー共通である。おまけにキャンプに呼ぶ住民は取捨選択が可能。他のキャンプ場へ遊びに行っても、見慣れた顔ぶれが並んでいるだけだ。

これではキャラクターを好きになることはあっても、これまでのような"特別な親近感"を得るのは不可能だろう。

 

 

以上。長くなりそうなので、根本的なところを2点挙げました。

言いたい放題の記事になっちゃいましたが、どのような形であれポケ森が今後良い方向に行けばいいなと、1人のぶつ森ファンとして祈っています。

 

……こんな記事を書いていたらとび森がやりたくなってしまった。久しぶりに起動してみよう。雪景色の中を走り回って、ワカサギを釣ったりフンコロガシを捕まえたりするんだ。雪だるまも作らないと…